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白球追いかけ薄給になった管理人が運営するジャイアンツブログです。     ※コメントに書きたくないご意見ご感想はcoolvanilla3(アットマーク)gmail.com までどうぞ  
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ジャイアンツが5年ぶりの優勝を決めたその日、2人の選手がそれぞれの所属チームから来期の構想に入っていない旨、つまり戦力外通告を告げられた。

一人は西武ライオンズから河原純一。
他でもない、5年前のジャイアンツ優勝の立役者である。
ルーキーイヤーに8勝を挙げるも、その後伸び悩み凡庸な投手で終わりかけていた河原。その河原をクローザーに指名したのは、誰あろう第一次政権時の原監督。見事期待に応え、その年5勝28セーブを挙げる大活躍を見せた河原。彼なくして2002年の優勝は無かった。絶対に無かった。
しかしながら、大活躍の翌年以降は思うような成績が残せず、西武に移籍してからも目立った活躍はできなかった。
原監督が宙に舞ったその日、かつてのクローザーが戦力外通告されたことに、華やかな世界の光と闇を思わずにはいられない。

もう一人、暗黒時代のロッテを支え続けた魂のエース黒木知宏。
彼については、97年登板イニング数240とか、98年最多勝とか、記録について語ることはさほどの意味を持たない。
特にストレートが速い訳でも、頭抜けた変化球がある訳でもなく、黒木は気迫で、気持ちで投げ続けたエースである。
負け癖のついたチームに渇を入れ続け、マウンドで吼え、叫び、時に涙し、一球一球に魂をこめたピッチングは見る者の心に響いた。「ロッテは嫌いだけど黒木は好き」、なんて野球ファンは山ほどいるだろうし、それどころか、90年代後半の野球ファンで黒木が嫌いな人なんているのだろうか、とさえ思う。
「酷使がたたった」としか言いようが無いのだろう。その魂のエースは、膝、肩、肘、ピッチャーの生命線を全て壊した。もうストレートは130キロ台、技巧派への転身も実を結ぶことはなかった。彼がいかに功労者であるか、ファンから愛されているかを知るロッテ球団でも、6年間で3勝のピッチャーのために選手枠を一つ空けておいてはくれなかった。

河原34歳、黒木33歳。
一般社会では働き盛りと言われる年代、球界内においてもまだベテランとは言えない。
ユニフォームを変え現役を続行するのか、第二の人生を歩み出すのか、いずれにせよ二人の人生に幸あれ。
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