オリックス球団への感謝の言葉はあった。
西武球団への感謝の言葉もあった。
ジャイアンツファンへの感謝の言葉はあったけど、球団へのそれは無かった。
清原の本音がよく表れてる気がします。
高卒1年目で3割30本を打った不世出の選手が、遂にバットを置きました。
高校を出たばかりの若者にとって、いかにプロの壁が厚く高いかは今年の中田翔の例を挙げるまでもなく明らか。あの立浪でさえ、1年目は2割2分台の打率でした。毎年出てくる「甲子園の怪物」の多くが、プロに入ると全く鳴かず飛ばずになる中、清原の「打率304本塁打31打点78」は本当に金字塔。
プロ入りした時点で完成され過ぎていたため、「西武時代がピーク」、「巨人時代以降は晩節を汚しただけ」などと、野球にあまり詳しくない人からでさえも言われる清原。
ただ、今の絶大な人気があるのは、間違いなく巨人で9年間を過ごした賜物。
不遇な目にも遭い、人一倍どころか人の百倍くらい叩かれたジャイアンツ時代でしたが、清原の人気は、もうなんというか別格でした。
松井や由伸に飛ぶ声援を
「松井ー!」、「よしのぶー☆」とするなら、
清原へのそれは
「きぃよはるぁああぁぁーっ!!」でした。いや、誇張でなく。
わかりやすいドラマを数多く背負い、稀代の大打者でありながら人間臭く、見てる側が自分を投影し、感情移入しやすかったからこその絶大な人気。清原ファンはみんな、清原が打つと自分のことのように嬉しく感じ、清原が叩かれると自分のことのように腹を立てました。もちろん私も含めて。
・・・球場に観に行くと、よく打ってくれたんですよ。目の前で見たホームラン何本あるかなぁ。
話を戻すと、2005年の退団劇は実に酷い形でした。「追われるように」ではなく、本当に追われて巨人を去ってしまいました。これだけの功労者を送り出す形としてはあんまりにもあんまりで、ファンも「そりゃねーよ」と憤ったもんです。同年の東京ドーム最終戦、一年の締めで試合後に長々と各種の応援歌を演奏する応援団が、一番の最後の曲に清原応援歌を選んだのがその証拠。2006年の交流戦、代打で出てきた清原に、ジャイアンツファンが歓声と清原コールで出迎えたのがその証拠。
昨日、打席の清原には「オリックス時代の応援歌→西武時代の応援歌→巨人時代の応援歌」が交互に演奏されてました。9年間何百回と耳にし、球場で何十回も歌った応援歌。いろんなことを思い出しながら感傷に浸った一日でした。
素材が素材だけに、「たられば」の話が出やすい人ですが、西武のままで終わってたら、あんな豪華な引退式にはなってないですよ。
ありきたりですけど、キヨさん、お疲れ様でした。そして、今までありがとうございました。
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